スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

at , スポンサードリンク, -

-, -, pookmark

2013年収穫分・自給用玄米の測定結果

昨年自分がつくった米(玄米)の放射能測定の結果です。
放射性セシウム134と137ともに不検出。
より注意深く表現すれば、1Bq/kg程度の測定下限に満たない値と言えるでしょうか。



今回も
この玄米の測定は町田市玉川学園にある放射能市民測定室「はかるーむ」にお願い致しました。
結果はひと月ほど前にいただいておりましたが、このブログでのご報告は今回まで遅れてしまいました。年末のお忙しい時に測ってくださったスタッフの方々にもう一度お礼を申し上げます。

この結果に僕自身は、またひとつほっとしました。

しかし原発事故で放射性物質がばら撒かれてしまった以上、その結果の扱いはとてもデリケートな問題になってしまうことを今年も書かないわけにはいきません(安心に思うか不安に思うかは人それぞれの立場、状況によりますし)。 

*昨年書いた2012年収穫分玄米測定結果についての記事はこちらです、よろしければ。 
http://tuchinohito.jugem.jp/?eid=136


このひとつのサンプルだけで言えることは限られています。

また「この辺は出てないし、売らないのにわざわざ測ったの」とおっしゃる方もいますが、自分はできる範囲で(ほんの僅かなサンプルしか測れなくても)今後もデータを残していき、このブログなどで公表したいです。
ホンモノの「安心」を大きくしていくためには、細かく丁寧な作業の積み重ね(それも限られた人ではなくたくさんの人が積み重ねたもの)が欠かせないと思うからです。

尚、いくつかの記事にも書いておりますが、昨年はこれまでの田んぼではなく新しく借りたところで米作りをしました。そこはその前年まで慣行農法で使われていましたから、原発事故後、普通に田起こしがされています。
よく耕して放射性物質を分散し粘土に吸着させると作物への移行率が下がることは、一般的に言われています。この結果にもその効果が含まれているのかもしれません。
→昨シーズン、自分は表面をジョレンで浅く耕しただけの所謂不耕起に近い状態で栽培

yasu

at 19:09, yasu, 放射能・原子力問題

comments(0), trackbacks(0), pookmark

「ローカル」な広さと深さ



今ではもう一般的になった標語、”Think Globally,Act Locally” (地球規模で考えながら、身近にできることから行動していこう)。
現在人類が直面している環境や紛争・貧困などの深刻で複雑な問題に対して、普段の生活でもひとりひとりが意識し努力することは大切なことでしょう。

ところで、このlocally(副詞)または形容詞(時に名詞にも)のlocal、日本語でも「ローカル」と日常的に使われますが、その意味する限定された地域の「広さ」は、この言葉が使われる時と場合、あるいは使う人によってけっこう違うものかもしれません。

僕の今のこの暮らしでは、locally の示す空間は自分の住む集落内、または広げてもせいぜい山都町(2006年合併、喜多方市に)でしょうか…経済的、身体的に無理なく(そして個人的なある程度の生活の「質」を保ちながら)暮らすためにはこのくらいの広さになってしまいます。

そんな自分にとって、今回の市長選は「喜多方市」をまとめて「ひとつの場」と強く意識する、これまであまりなかった貴重な機会となりました。

正直、最初自分の中ではその「拡張」(それを求めているのも、気にしているのも自分自身なのですが)にかなり戸惑いも覚えました。

そこで自分自身に折り合いをつけるために思い浮かんだのは、同様の形状のものが大きさの順に中に入っている入れ子構造。

*入れ子構造の例 マトリョーシカ人形
 
これまでのThink Globally,Act Locallyが、もっと大きなThink Globally,Act Locallyの中に入っていると。
僕の場合、最も小さいLocallyがここの集落で、次のLocallyが山都で、それから喜多方市…
そしてそのまわりにまたひとまわり大きいThink Globally,Act Locallyが包み、それが何十にも重なっていき、最後はGloballyが文字通り「地球規模」になる。

それからすこし調べてみると、そもそもThink Globally,Act Locallyの順番を逆にすべきではないかという意見も見つけました。
まず地域の具体的な問題に着目するところからはじめ、そこからグローバルへと視野を広げていくべきだと語る哲学者・亀山純生氏は、さらに
Feel personally, act locally, think globally(個人的に感じ、地域で動き、地球規模で考える)
とひとりひとりの個人的実感、体験を一番前に置いています。

*人間主義地理学は環境論にいかに寄与しうるか 
  千葉大学公共研究センター 吉永明弘氏 2007
 http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/ReCPAcoe/41yoshinaga.pdf)

Thinkよりも先にFeelが来ているところは重要な点かもしれません。
人は立派な「言葉」よりも、案外「感情」で動くものです。

さて、今回の選挙で自分は、もっと「喜多方市」を意識しなければいけないと反省させられた一方、あらためてこの市の「広さ」も実感させられました。
それはただ面積が大きいというだけではなくその多様性を含めてです。

せっかくこんなに大きいのですから、あまり無理はせず、一人一人がひとまわり小さいそれぞれの区域でFeel personally, act locallyを心がけ、隣近所でfeelings(気持ちや感情)を共有していくことも、この市が持つ多様性をもっと活かすために大切ではないか…
結局、小さいところに落ち着いてしまいそうですね。
今回はこの辺で。

*写真は1月29日撮影 自分の田がある谷津への入口

yasu

PS 浅見さんの勇気ある挑戦とこの短期間に成し得たことは、その結果に係わらず最大の賞賛に値すると思っていることをここに付け足しておきます。

at 11:13, yasu, 風と土

comments(0), trackbacks(0), pookmark

喜多方市長選、はじまる

僕の本拠地がある山都町は、喜多方市にあります。
その喜多方の首長を決める大事な選挙が26日投開票です。

今回、友人でもあり、この地域の農的暮らしを試みている仲間のリーダー的存在でもある浅見あきひろさんが立候補しました。

準備活動期間から、僕は浅見さんを勝手連的に応援していますが(車や携帯電話を持たないこの実験的暮らしで、自分にできることは限られていますけど…)告示され選挙もいよいよ始まりましたのでこのブログにも市長選に関して思っていることをちょっと書きたいと思います。

まず、この喜多方が恵まれていることを。
自然の恵みのほか、別の面からもです。

もちろん、原発事故による放射能汚染の実害、風評被害は深刻です。
しかし、幸い汚染度は比較的低めですし、事故直後からある程度冷静に見守れる余裕もありました(不安は当然あり)。

また、外からの強力な圧力や巨額のお金で、住民が分断されているわけでもありませんし、政党間の政治権力争いに巻き込まれているわけでもありません。(そういうことが全く無いとは言えないのかもしれませんが)

先日、何事もなく開かれた市長選立候補予定者による公開討論会。民主的な社会でこういう討論会が催されるのは当たり前のことでしょうけど、やれない地域(あえて地域と言ってみた)もあるのです。

昨日の朝、事務所でまず挨拶した浅見さんは、それを「出陣式」ではなく「希望の種蒔き式」と呼びました。
選挙にはよく戦いの言葉が使われますね。
「選挙戦」と普通言われますし、実際激しい争いです。
でも、それは地域を疲弊させる争いに終わってはいけないでしょう。

種からたくさんの芽が出て、力強く育ち始めてくれることを祈ります。

「喜多方からはじめよう!」


*浅見あきひろ「希望の種蒔き式」の様子はこちらで

yasu
PS 昔から米作りでは「苗半作」「苗七分作」とも言われます。苗つくりは大切。焦らずじっくり行きましょう。






at 06:47, yasu, 風と土

comments(0), trackbacks(0), pookmark

あけましておめでとうございます

 

みなさま、あけましておめでとうございます。

迎えた2014年、今年はどんな年になるでしょうか。

昨年も入ってくるニュースは喜ばしいものばかりではありませんでした。
先が見えなく不安がただよう空気はいたるところで広がっている感じもします。

それでも気持ちを落ち着け、注意深く見てみれば、新しい希望の芽がさまざまな場で出ているではありませんか。
それらの小さな芽を、私たち大人は未来の子供たちのためにも大事に育てなければ。

もちろん育て方はいろいろあるので、意見は分かれるはずですが、僕は自分が目指している農法のように、なるべく自然に任せ、たくさんの命(土に住む微生物のような)に頼りながら育てていきたいです。
「〜任せ」「〜頼り」と新年早々消極的すぎると思われるかもしれません。
しかしそれは逆に「他人任せ」「お金が頼り」にならない為の積極的な姿勢になるはず…

大自然の恵みに感謝して


今年もどうぞよろしくお願いします。
2014年1月1日      
yasu







at 07:52, yasu, 風と土

comments(0), trackbacks(0), pookmark

今年収穫の小豆、セシウム検出されず(簡易測定結果)

小豆の収穫が済んだので、さっそく検体分(1kg)だけ選別し市が運営する放射能簡易測定に出しました。
結果はセシウム134,137共検出されず(検出下限20Bq/kg)。
 


去年は田の畦で作った小豆が20数ベクレル(134,137合わせて)出ていました。(→参照
同じ条件で作り比較してみてもよかったのですが、今年はその田を持ち主の方に返さなければならなかったので、今シーズンの小豆は全部畑で作っています。
 
米と並んで豆も自給的な暮らしをやるなら欠かせない作物なので、この結果にちょっとほっとしている次第。
あと大豆で出なければいいのですが・・・
yasu

at 21:42, yasu, -

comments(0), trackbacks(0), pookmark

生きることの手応え

 
すぐ手に取れる場所に置きたい本。
僕にとって星野道夫さんの「旅をする木」はそんな本です。
そして星野さんの文章と同じくらい、文庫本の最後に収められている池澤夏樹さんが書いた「いささか私的すぎる解説」がとても好きです。
 
ちょっとここで一部抜粋させてもらいます。
 
 人間は文明を作ることで自然の厳しさから逃れ、
 安楽に暮らすようになった。

 それはそれで結構なことだが、
 そのために生きるということは鮮明な
 喜びではなくどこかぼんやりとした
 曖昧なものになった。

 早い話が、ぼくたちは雪原を歩いてゆくオオカミの姿を
 遠くから見ることがなくなった。

 地平線にかすかに見えている飢えの恐怖によって
 日々の暮らしを引き締めることがなくなった。

 生きることの手応えを失った。

 
僕は今、こうして機械にできるだけ頼らない「農」を試しておりますが、底の部分で自分を動かし求めているものはこの「生きることの手応え」なのかもしれません。
 
今シーズンも実った稲を鎌で一株一株刈りながら、しっかりとした手応えを感じることができました。
アラスカの大自然で味わう強烈な手応えと比べたら、この小さな田んぼでの手応えなど些細なものでしょう。
だけど僕自身の中では確かなのです。
いささか以上に私的なことですが・・・

*10月9日、若干青い部分がある赤米を残し無事稲刈り終了。感謝。

yasu
 

at 12:42, yasu,

comments(0), trackbacks(0), pookmark

稲刈りまであと3週間ほどかな

9月に入り明日でもう一週間。

今週は豪雨や竜巻など、容赦ない自然の恐ろしさが伝わってくるニュースが続き、夏の終わりを静かに味わう気持ちのゆとりもあまりありませんでした。

幸い自分の場所では一時的な大雨や強風が何回かあったものの、今回特に大きな被害はなく(畑のアマランサスが何本か倒されたりと小さな害はありますけど)助かりました。

とにかくあと稲刈りまでなんとか安定した天気が続いてくれることを祈るばかり。

写真は今日夕方の田んぼの様子です。 端にすこし植えている野毛つきの古代米(赤、黒)が背丈もあるので目立っています。

田のまん中から奥にかけてにだいぶゆるい土の箇所(まわりより低く水が溜まってしまう)があるのですが、最近の強い雨と風で稲がすこし倒れかけていてちょっと心配。最後まで踏ん張って欲しいけど、さてどうなるか。 (実り具合はいつもの感じでそれなりに。実りが良過ぎると倒れやすくなりますが、僕のこの稲の場合は足元のゆるさが原因でしょうね・・・)

yasu

at 22:05, yasu,

comments(0), trackbacks(0), pookmark

田んぼの草取りは終盤に入ってますが

今朝、雨が降り出す前に全面ざっと草取りをやってきました。

 

 

 

 

それにしても最近雨が続いています。 先週18日の豪雨では、開通したばかりの山形へ通じる林道が決壊したり、建物が流されたりと山都町でも災害が発生しました。 また、Twitterなどにも書きましたが、その豪雨のため僕の田んぼも土砂が流入するという被害が。

次の写真も今朝の様子です。

 

 

青線のところに用水路があります。18日はその上流で土砂崩れがあり、水路の一部が塞がれ上の沢からの水は土砂などと一緒に道路の上を流れ落ちました。坂道の終わり、赤丸のところがその水によって削られてしまってます。 その時、枝などが道の曲がり角周辺に溜まったりして流れを変えたのでしょう。 土砂の一部は僕の田にも入ってきてしまいました。

 

*次のふたつは豪雨の翌日、19日朝の写真。 幸い一部分だったのでダメージは少なくすみました。

 

 

 

草取り作業はもうだいたい終わりで、あとは出穂を待つのみとなるのですが、天気の方は(どうにもならないのですけど)いろいろ心配です。 ひどく降らないことを祈るばかり。

yasu

PS 今回被害を受けた箇所の補修作業は梅雨明けにやることに。 今は応急的に土嚢を積みなるべく道路上に水が出ないようにしています。 こういう災害があると、この水路に関わっている村の方達とのコミュニケーションは自然と深まりますね。

at 12:51, yasu,

comments(0), trackbacks(0), pookmark

田植えも終わりほっと一息

今年から使わせていただいている田んぼの田植えが月曜日に無事一応終了しました。

その後、今週は村の臨時人足(がけ崩れ箇所土嚢積み)や、昨年まで使っていた田んぼでの田植え手伝い(今シーズンは持ち主の方がつくり僕はアルバイトとして手伝ってます)それからいろいろこの時期にやるべき作業もありまして、パソコンに向かう時間も短くなっていましたが、今日は久しぶりに朝から雨。すこし「さなぶり」気分で、こうしてほっと一息つかせてもらってます。

さて、こちらの写真(13日朝撮影)は僕の田んぼがある「入り」と村で呼ばれている地域。

この地域のほとんどの田は、間を流れる川や周囲の沢から水をとっています(一部だけ隣の集落を水源とする水路から)。

まわりより2週間ちょっと遅れて、自分の田もやっと稲でうまりました(13日朝)。

区画整理された他の田と比べるとほんと小さいのですが、僕ひとりが"人力で"やるにはちょうどよいサイズです。 (こうやって作業をしていると毎度、自分ひとりの力の小ささを実感せずにはいられません・・・一方で自分をとりまく「世界」の広さも実感・・・そして機械のすごさは言うまでもありませんが・・・)

「生産性」や「一般性」に?がたくさん並ぶことを承知で、しかし文字通り「食うために」つくっているので個人的には文字にできないほど真剣になる。

慣行栽培から有機栽培への切り替え時、また草を生やさない方法から草を生かす(適時に除草しますが)所謂「自然農」への切り替え時は、土ができていないからあまりよい結果はでないとよく言われますけど、はたしてこの田での今シーズンの栽培はどうなるでしょうか?

結局、わくわくしている自分です。

yasu

at 06:49, yasu,

comments(0), trackbacks(0), pookmark

晴れたら一品追加!お手軽パネル型ソーラークッカーで

今日からもう6月ですね。 僕の方は相変わらず本拠地の山村で自給的暮らしの実験をつづけております。

まず、今回は今年の米作りについて。 持ち主の方のご都合により、これまで6シーズンつくってきた田んぼをお返ししました。そのためこの地での7回目の米作りは、急遽この春に別の方からお借りした2畝程の小さな田んぼで行うことになりました。

その田でも、今までやってみたように自分のコンセプトは「できるだけここにあるものだけでやる米作り」です。 あまり耕さず、早めに水を入れ、基本的に無施肥無農薬で栽培してみます。 (去年までこの田んぼでは化学肥料や農薬をつかう一般的な農法でつくられていましたし、まわりの田をつくっている皆さんは慣行栽培でされていますから、そちらからの影響も多少あると思いますけど、その辺はあまり神経質にならないようにしたいです。)

来週半ば過ぎくらいに田植えとなりそうなので、このブログでもまた時々田の様子を書かせてもらいます。

さて、6月初日の今日は朝からよく晴れていました。 そこで自作のCookit・ソーラークッカー(自作といってもダンボールにアルミ箔をはっただけ)をひっぱり出し、昼食のおかずを一品調理。

鍋には一口大に切ったジャガイモがはいっています(塩、コショウ、オレガノで味付け)。  パネル型クッカーは野菜の無水料理にむいてますね。  鍋は濃い色(黒)の熱伝導性がよい薄手のものを。  耐熱性のビニール袋(オーブン用調理袋)で鍋をくるむのもポイントです。→断熱

ちょうどバジルの苗を整理していた(種が小さいからつい蒔きすぎてしまいます…)ので間引きスプラウトをトッピングに。

オリーブ油、バルサミコ酢をちょっとかけて一品できあがり。

*パネル型ソーラークッカーCookitについてはこちらのページが参考になります。 http://ja.solarcooking.wikia.com/wiki/CooKit

yasu

at 16:15, yasu,

comments(0), trackbacks(0), pookmark